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「あきんどPLAZA」の事務局です。今年度第15号のメルマガです。 さて、いま国会では、先に審議会(合同会議)で取りまとめられた中間報告「コンパクトでにぎわいあふれるまちづくりを目指して」を受けて提出された、改正都市計画法や改正中心市街地活性化法の審議が行われています。これからは、コンパクトな「まちづくり」を目指し、そのコンパクトなまちの中に人々が居住し生活します。そのためには、まちの中に様々な機能が必要ですが、それらのうちいくつかの機能(商業機能、コミュニティ機能など)の担い手として商店街がある、ということでしょう。こうしたまちづくりの方向が大きく変化しようとしている時期に、まさに、まちづくりを目指した商店街組織が誕生しました。「商店街振興組合クラフトマンシップ・ストリート」は神奈川県横浜市の有名な元町商店街の近くにあります。街づくり協定を持ち、地域住民も参画した商店街で、2004年12月に誕生しました。詳細は今回号の<商店街NOW!>をご覧ください。 また、今回から「街元気リーダーたちの主張」ということで、各地で街の活性化に取り組んでいらっしゃるキーマンたちのお話をお届けします。また、21世紀を迎え、人口減少、超高齢化社会が訪れようとしているわが国においいて、今後の商人はどうあるべきか、オフィス2020主幹で、大分県の豊ノ国商人塾・塾長でもある緒方知行先生にご執筆いただきます。 それでは今回は以下のメニューでお届けいたします。 また、このメルマガへのご意見・ご感想も下さいね。
高知TMOの中心市街地活性化策について ■高知市の紹介 高知市は「南国土佐」と呼称される通り、豊かな自然環境に恵まれた温暖な気候で、かつおやドロメなどの海産物、文旦やトマトなどの農産物などの特産物が豊富です。 高知と言えば坂本龍馬とカツオのタタキ、という認識をお持ちの方が多いと思われますが、それだけではありません。高知市中心市街地はさまざまなものの発祥の地です。 まずはよさこい祭り。約50年前に商店街の夏枯れ対策としてはじまったこの祭りは若者を中心に厚く支持され、現在では全国200箇所以上で実施されています。 板垣退助を中心に明治時代に展開された自由民権運動も高知発祥です。自由民権運動の本拠地、立志社の機関紙には「自由は土佐の山間より」の言葉が謳われました。 そして「内助の功」。高知の女性は「はちきん」と呼ばれ、男勝りの働き振りを見せます。現在NHKで放送されている「功名が辻」は、土佐藩初代大名である山内一豊と、一豊を支えたその妻千代の物語です。
高知市は人口約33万人。高知県人口は約80万ですので、高知市は県内人口の4割以上が集中する県下最大の都市です。松山、高松、徳島とは100キロ以上の距離があるため、日常的な都市間競争はありません。 しかし、これは半面、閉鎖商圏であることを意味します。この閉鎖商圏に、平成12年、中心市街地から約1.5kmの立地に店舗面積6万m²超の大型商業施設ができ、中心市街地の商業は大きな影響を受けました。その後も郊外部への大型店出店は進み、現在の市内商業床面積は約46万m²と過剰商業床化が進んでいます。 ■高知TMOの事業紹介 まちづくりの主役は市民・住民です。市民が自分の街への愛着を高め、その裾野を広げていけるよう、市民が商店街を舞台にさまざまな活動を行えるように整備するとともに、市民や団体を巻き込みながら、まちづくりに参加するきっかけを作っていくことが高知TMOの役割だと考えています。 この「市民のまちづくり参加促進」により、多種多層の市民をまちづくりに携わっていただき、その新しい感性をまちづくりに活かすこと、市民と商業者が提携して新しいコミュニティや事業を生み出すことなどを狙っています。 ○動く街の灯台「エスコーターズ」 商店街で安心して、楽しく、快適に買物ができるよう、毎週日曜日に高知女子大学の学生グループが挨拶、案内・清掃・自転車整理、介助などの活動を行っています。活動の際に感じたこと、気付いたことを毎回の活動のたびレポートを書き、ホームページ「エスコーターズ日記」に掲載することで、情報発信も行います。 エスコーターズは高知TMO構想に「街なか清掃隊」として明記され、バリアフリー推進事業と、エコポリス高知推進事業、情報発信事業に位置付けられています。平成12年7月の高知TMO事業推進委員会発足から具体的に検討をはじめ、13年4月22日(日)にメンバー4名で活動をスタートしました。その後メンバーは増え、18年1月現在で13名が所属しています。 エスコーターズは来街者、子供、障害者など市民との交流促進に機能しています。活動の中心は挨拶。来街者との会話から商店街への声を拾い、届けます。ただ届けるだけではありません。活動を通じて培った現場感覚をもとに商店街にさまざまな提案や、要望実現・啓蒙などの取組みも行っています。 エスコーターズは、そのユニークなキャラクターから子供に人気があり、活動中には子供にキャンディーや、節分の福豆、雛あられなどを配っています。さらに子供の頃から街に愛着を持ってもらおうと、エスコーターズがストーリーを考えた絵本「トモちゃんと魔法のおかし」を14年8月に発売。16年には商店街周辺の小学生を対象にしたエスコーターズ体験・商店街探検事業「エスコーターキッズ」を開催し、好評を得ました。 17年度は、功名が辻効果による今後の観光客増加を見越し、観光客にとっての利便性を高めたオリジナルマップも作成。中心商店街の店舗、高知駅をはじめ、空港連絡バス、高知城など観光施設にて配布しており、商店街と観光名所との橋渡しを担っています。 エスコーターズは活動時のスキルを高めるため、接遇研修や障害者介助研修、観光にかかる研修等を行いますが、それによってメンバーや商店街関係者にバリアフリーへの意識が高まってきました。具体的な事例としては商店街関係者が市に要望し街路側溝のグレーチングを全て細目に変更したことや、障害者トイレを新設した映画館などがあげられます。 活動を継続することにより、商店街内のタバコのポイ捨て抑制に効果がでてきました。活動開始時の平成13年には1日平均1400本以上の吸殻が商店街にあったのが、16年には700本以下にまで減少しました。 ほかにも街づくりに関する各機関・団体の委員会などでメンバーが活躍する機会も増え、学生の社会参加に繋がっています。また、エスコーターズをモデルにした事業が、松山や広島、富山、久留米、小倉、青森など全国各地で実施されています。 そしてエスコーターズの活動成果はマスコミ等に取り上げられ、商店街のイメージアップに貢献しています。 エスコーターズの衣装やマークはもちろんのこと、実施する事業はすべて学生と商店街との自由な意見交換の中から生み出されています。エスコーターズの活動には手当てが出ますが、彼女たちが単なるアルバイトとして参加するのではなく、やりがいを感じ、自主性と責任感を発揮すること、商店街関係者と彼女たちとが継続して協力しあえる関係を構築することこそ、エスコーターズ事業成立・継続の鍵であり、その土壌を作ることが担当者である私の役割であると思っています。 ○チャレンジショップ「kurule(クルル)」(人とまちづくり商業チャレンジ事業)
高知TMOの運営するチャレンジショップは市民の手により作られました。
チャレンジショップの出店者は、個性のある商材を持ちながらも経験と自己資金に乏しい方が経営に挑戦する場です。中心商店街は商売の一等地であり、チャンスも開業のハードルも高い場所ですので、出店者の皆さんが「苦難を乗越えてでも中心商店街に自分自身の店を持つ」という強い意思を持続していただくことが事業の成果につながります。 そこで出店者指導においては開業について出店者と一緒に考える機会を密に持ち、出店者が困っていることを私たちに素直に相談できる関係を構築するようにした上で、研修メニューを充実させました。研修には私と、診断士資格を持つ職員で対応しました。 まずは出店前に2日間の研修を実施し、出店者へのショップ設置趣旨を理解いただくとともに、商店街の動向、経営者としての心構えなどを指導しました。出店後は毎週1~2回の研修を実施し、ライバル店分析、SWOT分析、ターゲットの選定、事業領域のあり方、顧客管理、ターゲットにあわせた販売促進、販売内容の傾向と販売促進の仕方、融資、税務、事業計画書作成等について指導しました。 また、レイアウト、POP、店舗演出など、職員で対応できない部分は専門家を月に1度派遣して指導いただきました。契約更新の際にも個別面談を実施し、更新意思の確認をするだけでなく、経営意欲の確認や事業計画の進捗、課題抽出等を行いました。 気に入る空き店舗があるかどうかが出店を決める大きな要素になりますので、出店時から開業候補店探しを行ってもらい、必要時には候補店に一緒に出向く、商店街関係者を通じて家賃を交渉するなどの支援も行いました。 チャレンジショップ設立以降、カフェ、ネイルショップ、雑貨小売等15件の店舗が入居し、18年1月をもって閉店しましたが、最終出店者以外の出店者12人のうち、中心商店街内に3店舗、中心市街地内に1店舗、その他エリアに2店舗が開業しました。18年1月に卒業した最終出店者3名全員は現在開業準備を進めています。 ショップ開設以降、委員会委員会メンバーは、まちづくりを推進する市民のけん引役となるべく、まず商店街イベントの準備や企画運営にかかる実情を把握するため、さまざまな商店街イベントに委員会メンバーが参加・協力しました。そのほかにも市内のまちづくり団体やまちづくりへの市民参加を進める他県の活動を研究し、商店街活性化は「一般市民の商店街ファンをいかに増やすか」が重要であると委員会内で結論が出ました。 市民が意識と愛着を持ってまちづくりに参加し、来街する方向を追求するために、委員会が主催した商店街のファン作り企画「よさこい前のピカピカ大掃除」を実施し、120名を越える市民参加が得られました。 現在は委員会事業を通じて広がったまちづくり団体や、市民参加型まちづくりの実施者と情報交換しながら、18年3月の事業終了に向け、市民参加型のまちづくりを促進についいて議論しています。 ■まちづくりにおいて重要だと考えること ○なぜ中心市街地活性化を推進するのか 「なぜ中心市街地活性化をしないといけないのか」の問いに、私自身随分悩みました。一消費者の観点から考えると、郊外の大型店も商店街も買い物の選択肢のひとつでしかなく、競争しあうことで資本主義の原則が働き価格低下や品揃え充実など、消費者の便益は上がります。中心市街地活性化は地方の問題ですから、公共交通インフラが十分でない地方都市において、車を利用することは生活の前提になりやすいため、多くの方にとって郊外店は駐車場代がかからなくて済み、時間を気にせずゆっくり買い物ができるとことも事実です。 高知市でも、よさこい祭りを愛する市民は多くいますが、その舞台である中心商店街を維持するためにわざわざ不必要なものや他店よりも高く設定された商品を購入する消費者はいません。そう考えると、消費者の観点から中心市街地の魅力を高めるためには、利便性の向上、個店経営の支援、店舗誘致支援などの措置が必要となります。 現在、コンパクトシティ構想の推進を求める声が全国に広がりを見せています。私も中心市街地活性化の本来の必要性は都市経営の観点から生まれると考えます。今後加速する少子高齢化社会に向け、都市効率を高め、雇用を作り、若者を定住させ、市民に豊かさを実感させるために進められるべきものです。 しかし、実際に都市経営の観点で中心市街地活性化を推進するためには首長の強いリーダーシップと市民の理解を要すものであるため、現在の枠組みのなかでTMOが担える役割は少ないのが実情ですが、TMO活動を推進していくためのベクトルの向きは、都市経営の観点から生まれると思います。そのベクトルの向きのなかでどこに重点を置いて何をするのかを決定していくことが重要だと考えます。 ○実態の把握 TMO担当者は「企画して、うまくいくかどうか細かく調べ、実行し、検証して改善する」のPDCAサイクルが取られます。このPの部分を決める際、実態に基づいた分析やニーズの高低を把握しないと、どの部分を改善するかは出ません。「多分こうだろう」「こうしたらうまくいくはずだ」といった話がよく聞かれますが、あくまでこれらは「アイデア」「推測」ですので、事業実施の根拠にはなりません。 高知TMOでは、市民約3000人と、中心商店街の店主約200名から得た調査結果をもとに、商店街の経営課題、市民の商店街利用の姿などの実態を把握し事業展開を決定しています。
「商いと経営の目指すモノサシを転換しよう」 メガネの専門店チェーンのある経営者が、自分の子息を後継者として育てるために、同業の他社に預かってもらうことにした。普通このような場合、業界の著名な大手に入れて修行させるのだが、選んだ相手は、自分のところより小さな専門店チェーンだった。 なぜこの会社を自分の子息の後継者としての教育のために選んだのか、その理由を聞いて筆者は大いに納得した。経営者の志と思想に共鳴・共感しただけだというのが、その理由であった。 子息を預かってもらったメガネチェーン(I社としておこう)は、店数こそ少ないが、一店一店、大変に繁盛している店ばかりである。そこで同業者たちが「こんなに繁盛して儲かっているのだったら、もっとどんどん店を増やしてチェーンとしての規模を大きくしたらどうなの?」と聞くと、I社のトップは「売上げとか、チェーンの店数とかを大きくすることに自分の関心はない。私が目指しているのは、日本一社員たちが元気で明るくて、お客さまに対して親切な、そして地域の人たちから『この店があるおかげで……』と言ってもらえるような、そういう商いと経営をしたいのだ」ときっぱりと言ってのけるのであるという。 そして、売上げや店数といった量的な規模は、「一生懸命に自分たちの目指す商売を追求して後ろを振り向いてみたら、結果として会社が大きくなっていた」それでいいのだと断言するのである。 かつてエクセレント・カンパニーということが言われ、これを目指すことが経営として当然のように考えられていた。いまでも大半の企業は、そうしたモノサシによった経営を指向しているし、またマスコミなどの評価も売上げの大きさ、その伸び率、収益性等々、数字ではかれるものをモノサシとして店や企業を評価する。 これは決して間違っているわけではないが、しかしこのエクセレントをあるべき商いや経営の目標にすると、中や小はすべて負け犬ということになってしまう。 しかし、もう一つ「アドマイヤードな会社や店に」という違ったモノサシを持ち込むと、状況は一変する。アドマイヤードな存在であることにおいて、規模の大小は関係がない。 それではアドマイヤードとは何か。 尊敬される、憧れられる……等々といった意味がこれにはある。アドマイヤードな店、アドマイヤードな企業とは、したがって世の中から、地域の人たちから、お客から、尊敬されるような存在、「この店が、この会社が、世の中に、この地域にあるから、私たちの生活はこんなにも豊かです。そしてこの店(企業)のおかげで、私たちは幸せに生活することができる」と感謝され、喜ばれ、「おかげさまで……」といってその存在が評価され、「○○さん」と“さん”付けで自分の店の名前が呼ばれる、そういうものがアドマイヤードということである。もちろん、同業から「ああいう存在になりたい」と憧れられるような店や企業も、アドマイヤードである。 事例に挙げたメガネ屋チェーンI社こそは、アドマイヤードな存在を自らの志とした企業であるといってもさしつかえないであろう。
桜が満開の1月から2月にかけての沖縄は、オリックス、ヤクルト、楽天、阪神、中日、広島、横浜ベイスターズ、日本ハムの8球団がキャンプ入りし、清原やイチロー、新庄選手がマスコミを賑わす季節でもあり、サトウキビ農家においてはキビの刈り入れに追われている時期でもあります。 観光客であふれる那覇市のメインストリートの国際通り、豚肉、色鮮やかな魚など地元の食材が揃う公設市場が立地している市場通り、食堂や土産品などいろいろなお店が立ち並ぶ平和通りを抜けると桜坂の裏路地があり、その路地に「桜坂劇場」は建っています。近くには焼物の町の壺屋や飲み屋が建ち並びノスタルジックな気分に誘われます。 劇場運営を中心とした桜坂地域と周辺の活性化を目指した「桜坂劇場」の事業は周囲に人々を呼び戻し活気を取り戻ししつつあります。戦略的中心市街地商業等活性化支援事業を活用し、国(沖縄総合事務局経済産業部)で支援している中心市街地に賑わいをつくりだすための「劇場運営を中心とした那覇市桜坂地域及び周辺の活性化事業」をご紹介します。 ■街の映画館としての桜坂劇場の運営
1959年頃の沖縄を舞台にした「海流」では、懐かしい那覇の街の風景にオールドファンのみならず、若者も劇場に押し掛け立ち見ができたほどの人気でした。高峯秀子特集、外国映画の「山猫」、「dearフランキー」、「エレンの旅」などオープンから約210本の映画が上映されました。 世界こども映画祭は、親子で映画を鑑賞する機会を作り、映画を通して遊び、学ぶことの楽しさを伝えるととともに、子どもたちの中での意見交換を通して実践の場とすることを目的に、7月30日から8月27日の約1月、おばあちゃんの家」、「バーバー吉野」「対馬丸さようなら沖縄」など13本のこども映画が上映されました。上映された映画の感想を述べ合うワークショップの場が設けられ、こども審査員がこども映画グランプリを選定しました。 また、街中の映画館の駐車場不足解消と来場者へのサービスのため、劇場周辺の指定駐車場の利用客に対して平日、2時間の無料駐車サービスを行うほか、劇場内に桜坂キッズルームを設け、お母さんが子供を預け、ゆっくりと映画を楽しめるよう託児サービスも設けられています。 今年に入り、オールドファンや若者に旧作映画との出会いを提供するため、桜坂劇場クラシック宣言と銘打ち「男はつらいよ」、「吉永小百合」特集を組む一方で、もっと知りたい、学びたい、楽しみたいと沖縄芝居で学ぶウチナーグチ(沖縄言葉)、アニメーション制作、脚本入門などを学ぶワークショップの試みもなされています。 劇場1階の映画関連の商品の小物売り場やカフェのcha-gwa(チャーグァ=お茶=喫茶)では暖かいスープ、タコライスなどが映画の待ち時間の合間に楽しめます。 ■多彩な娯楽の情報発信機能として期待され、若者の息吹が感じられる街へ 戦後、自然発生的にできた那覇市の中心市街地は、沖縄の文化情報発信の場として、大衆娯楽の映画館、劇場が集まり、市民だけではなく県民の文化活動の舞台となり、常に新しい文化や情報で賑わう場となっていました。 しかしながら、車社会の進展、住宅の郊外化、郊外への大規模小売店舗の進出、中心市街地の定住人口の低下等により、中心市街地から映画館や劇場の撤退が相次ぎ、中心市街地における文化情報発信機能が著しく低下しているのが現状です。 このような現状を危惧し、那覇市では那覇市中心市街地活性化基本計画に中心商店街賑わい創出事業として賑わいを創出するための事業を盛り込んでおり、桜坂劇場としての映画館の復活は、中心市街地における文化情報発信機能の向上が、中心市街地の再生につながることを期待し、那覇市と事業者は連携・協力して桜坂劇場の事業に取り組んでいます。 空き店舗が目立つようになっていた桜坂の通りは、近年、増加中のシネコンでは味わえない、街と共存するオープンスタイルの桜坂劇場復活が、若者向きの宿、カフェやリサイクルショップのオープンへとつながり、街中の映画館=桜坂劇場として定着しつつあります。
■組合費払い住民も街づくり参画 神奈川県横浜市に元町クラフトマンシップ・ストリート商店街振興組合(以下元町CS商店街)は、平成16年に法人化(振興組合)したばかりの組織としては新しい商店街である。同商店街は、全国ブランドである『元町通り(協同組合 元町エスエス会)』と並行する仲通り地区にある。平成6年に任意団体の『元町仲通り会』を結成してスタートした。この会には、枝道にある汐汲坂・代官坂・元町公園通りの商店も含まれている。 元町地区は横浜開港以来、約150年の歴史を刻んできた。元町通りは山手の外人地区と、日本人の住む横浜村とを結ぶ生活道路であった。この町は職人の町でもある。いまでも家具の製造販売などに、その面影を残している。 平成16年に法人化(振興組合)した際に、『街づくりフォーラム』を3回にわたって開き、組合員である商店主たちはもちろん、商売をしていない住民にも街づくりへの参画を呼びかけたのである。その成果は、組合費(商店の1/2から1/4の負担率)を払っても街づくりへ参画しようという住民が続出したことだ。現在、組合員145、商店130でその差は住民会員と考えられる。 ■元町地区憲章に基づき『街づくり協定』 元町地区のまちづくりはいま新しい段階に入っている。元町通りが、地元発意すなわち申出による地区計画制度を導入したからだ。全国でも珍しい制度導入として評価が高いが、元町CS商店街でも『元町仲通り街並み誘導地区 地区計画』を導入した。 地区計画とは、住民の意向を反映させながら、横浜市が建物の建て方をルール化することである。街内に進出する大型店舗等の床面積や業種制限などを、地区計画に基づいて市が実施する。誘導地区の場合には、前述の地区計画の項目に加えて、誘導したい街並みの姿をルール化するものである。これで、商店街内の景観や環境が守られている。 さらに、同地区を束ねる商店街独自の『横浜元町まちづくり憲章』が定められ、この憲章理念に基づき『元町町づくり協定』『元町通り街づくり協定』『元町仲通り街づくり協定』の3協定が作られた(憲章・地区計画・協定の6つをまとめた公式ルールブックは平成15年作成)。 こうした考えの根底には、150年の歴史と文化が息づいていると言えるであろう。先人たちが守ってきた伝統、さらに言えば、先人たちの考えを現在に置き換えたものが、憲章で謳う「品格あるまちづくり」「次世代を見据えたまちづくり」の基本理念ではないだろうか。 ■職人気質『クラフトマンシップ・ストリート』
■プロの味が楽しめるフードフェア ソフト事業では、なんといっても「インターナショナル・フードフェア」の開催が挙げられる。組合員であるレストラン約30店がプロの腕を競う。それぞれの手作り料理は300円から500円、高くても800円止まり。約1万人がフェアに集まってくるが、このときは組合員の家族・従業員たちも参加するので、コミュニケーションを図る親睦の場にもなっている。 今後のソフト事業として、これまで発行してきた季刊PR誌『元町仲通りメール』を拡大するタウン情報誌発刊事業を計画。今後、紙面を増やし広告収入などでフリーペーパーのタウン情報誌としての事業化が可能かどうかなどを検討している。また、クレジットカード事業の一括委託も実施しはじめている。個店のPRにもなり、組合に入る委託手数料で個店にメリットを還元できる利点もある。さらに、CI事業の展開も視野に入れている。 ■「店を開いて良かったな、という街にしたい」 「神戸の元町との違いを聞かれるのですが、きっちり儲ける神戸に対して、商売らしくない商売をしているのが横浜だと思っています。私たちの街づくりでも、ムリヤリ何かしようということはしない方針です。そういうやり方で、かえって効果を上げてきたと思っています」 組合の運営にもそれが現れている。役員会で何かを決める場合でも、1週間前から根回しして了解を取り付けるようにしているのだ。 「ただ、時の流れに流されないことは大切です。例えば、いたずらに安売りに走らないことなどですね。いずれにしても、元町エスエス会と調和を取ってやっていくことが大切です。私はここ元町で商売がやれたことを幸せと思っていますが、これから元町CSにこられる人たちが、ここで店を開いて良かったな、と感じられるような街にしていきたいですね」 鈴木信晴理事長は『商店街振興組合 元町クラフトマンシップ・ストリート』の将来像をこう語った。
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