|
【第1回】
シュバイツァ通りには
“穏かな風”が吹いていた |
(フランクフルト市) |
建築家 小宮和一 |
11月16日から8日間の日程で国際化研究会のコーディネータとしてフランクフルト、フライブルグ、ミラノの各市をメンバーと共に観て回った。3回にわたって連載する。
“人”が魅力の専門店街
黄色いプラタナスの枯葉が煉瓦の歩道に舞う11月中旬、街は赤、グリーン、ゴールド…クリスマス色に染まりかけていた。4週間も続くドイツ特有のクリスマス・シーズン“アドベント”をひかえ、樅ノ木の準備に忙しいシュバイツァ通りを商店街の代表者であるレイル女史の案内で歩く。
通りには、生鮮食品、デリカ、パン、菓子、花など生活と身近な業種から、靴、ファッション、インテリア、美術品などハイセンスな店まで約100店の専門店の魅力的なファサードが並んでいた。
ハム・ソーセージ店では店先のスタンドでランチタイム中のサラリーマン、ケーキ店のショーウィンドーをのぞくシックな身なりの老夫婦、クリスマス用品を選ぶ子供を連れた若い母親…。彼らの視線の先には決まって笑顔の店員がいる。レイル女史が力説するようにシュバイツァ通りの魅力は月並みな言い方ではあるが“人”であることに気づかされる。
マニュアルどおりのセルフ販売、無機的な自動販売機、そっけない応対、商店街の衰退は冷え冷えした風を自ら吹かしていることにあるのではないだろうか。
|
|
クルマ社会から再び公共交通へ
通りの中央をライトブルーの路面電車(トラム)がメルセデスやワーゲンを追い抜いていく。フランクフルト市民の交通の主力は、エコロジーや健康志向などを背景にクルマからUバーン(地下鉄)、Sバーン(市内電車)、トラムの公共交通システムに移行した。
わが国の“中心市街地”問題の根源は過度にクルマに依存したライフスタイルにあると言える。
クルマ中心の生活は、郊外の大駐車場を持つ大型店を繁栄させ、都市の環境悪化を招いたことにとどまらす、ショッピングやお洒落して街を歩くこと、文化や芸術にふれる楽しみまでも放棄させたのだ。
逆説的な言い方だが、クルマ至上主義を止め、お洒落や文化、芸術に興味を持たない限りわが国の中心市街地は活性化しないのではないか。と、そんな思いでトラムが走り抜けた後の穏かな風を感じた。
博物館通りとの連携
人口約65万人、詩人ゲーテの生誕地で知られるフランクフルト市の中心市街地は、マイン河北岸にあるDOM(大聖堂)を起点にした約1km圏内で、商業の中心はハウプトヴァッヘ周辺である。
戦災からの復興、高度成長、中心市街地の衰退とわが国の街とよく似た課程を辿ったフランクフルトのターニングポイントは「街の文化や芸術は地域経済のために必要である」という考え方だったという。
84年、マイン川南岸のドイツ映画博物館の建設を皮切りに、この地区に次々と博物館や美術館が建てられ、“博物館通り”とまで言われるようになった。
博物館通りの出現は荒廃した街の良くないイメージを払拭し、また分断していたマイン川北側と南のザクセンハウゼン地区との交流にも大きく貢献した。
シュバイツァ通りはSバーン南駅とこの博物館通りを結ぶ街路である。レイル女史によると商店街組織が出来たのが87年というから商店街の繁栄が博物館通りと密接であることがうかがえる。
「文化は金にならない」と言うどこかの先生方に聞かせたい話である。 ウェルテルの街は悩み、穏かな解決方法を選択した
詩人ゲーテはこの地で生まれ、ここで「若きウェルテルの悩み」を執筆したという。生家を復元したゲーテハウスの庭でわが国の商業や中心市街地の行く末を考えてみた。
急速な成長の末、街や商業は多くの悩みを抱えることになる。悩みを解決する方法として我々が観たフランクフルトの選択肢は「利便や効率主義から“人”の力による商業」「クルマ社会からの脱却」「街文化を見直した都心回帰」などである。
シュバイツァ通りで感じた“穏かな風”は心地の良く知的であった。 |